徳川慶喜は明治維新後、大人しく隠居生活を送る事になります。本来なら、もう一度力をつけて自身の権力を取り戻そうと考えるところを家臣を諭して政府と協力または無関係であったとされます。また、これは太平洋戦争敗退後、一時的なアメリカ軍占領の際、生麦事件のような暴行があったということは戦後の今あまりというか聞いたことがないです。
今豊かな生活が送れているのも日本人特有の潔さというか当然、味方に反対意見はあると思いますが、最終的に理解し人の為、国家の為に人口総出で協力する力があると思います。
もちろん、暴力行為を抑制する為の努力は並大抵のことでは無いと思いますが、日本は他の海外諸国に比べ復興のスピードは早いと感じます。
もはや戦後ではないは、アメリカに対する理解が当時の国民の間にあったかと思われます。連合国に対する支援を拒絶していたら、日本の成長はもっと遅れていたかもしれません。ありがとうございました。